介護福祉士『ルドルフ』のつれづれブログ

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【雑記】幸せになるには、足るを知ること

足るを知る=幸福の図式

(2023-08-26追記)

参考文献に「足るを知る」と、幸せになれる (扶桑社BOOKS)を加えました

この本にはネガティヴに考えがちな私達の思考をいかにポジティブな思考にするかについて丁寧に説明されています

私は特に、『10回チャレンジしたうち、7回は失敗してもいい』という項目が好きです

完璧主義に陥りがちな方は、是非参考にされて下さい!

るを知る。これは幸福へのキーワードです

人は欲しい物をどこまでも求めます

より多くのお金

より豊かな生活

より有意義な人生

まるでそれは、幸せに向かって全力疾走しているかのよう

けれど、その全力疾走はいつまで続くのか?

走り続けることは辛いことです

その上、必ず幸せになれるとは限らない

死ぬまで走り続けても目標を達成できず、

目標を達成したとしても、それが私達を幸せにしてくれると、誰が保証できるでしょうか?

そんな疑問を持った人々は、はるか昔から存在しました

足るを知る

そう語った二人が、老子仏陀ブッダです

老子の知足

老子について、実は分かっていることは少ないようです

それどころか、一人なのか複数人なのか、

そもそも本当に実在したのかも分からないのです

しかし、『老子』という書物を書いた人物(もしくは人物達)がいて、現代に残っているのは確かです

老子』にはこうあります

(前略)
故に足るを知るの足るは、常に足る。

老子』(岩波文庫 蜂屋邦央訳注) 第四十六章より

満足することを知って満足することは、永遠に満足することなのだ

という意味です

もっともっとと求めることなく

これでいい、十分だと自分を省みて納得できれば

永遠に満足していられるという意味でしょうか

仏教の少欲知足

お次は、仏陀ブッダです

こちらの方は、老子に比べてやや現実的でしょうか

仏教用語に残っている少欲知足がそれです

これは無欲ではなく、少欲と書いているのがミソで

意味は

欲を少なくして足ることを知る、となります

初期仏教の経典にはこう書かれています

究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して為すべきことは、

(中略)

 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

ブッダのことば(岩波文庫 中村元訳) 第一 蛇の章 八、慈しみ より

ミニマリストもかくや、という感じですね

高瀬舟に見る知足

文学作品でも、知足を扱ったものがあります

皆さんももしかしたら、国語の教科書で読んだことがあるかもしれません

森鴎外の『高瀬舟』です

この作品は知足と、安楽死(尊厳死)を扱ったものとして有名ですね

下手なあらすじを一つ


登場人物の喜助は弟殺しの罪で流罪となりますが、鼻歌交じりの上機嫌

何故かといえば、元々、喜助は幼い頃に両親を亡くし、弟と二人困窮暮らしをしていました

そこで、弟は病になり、苦しみを終わらせようと自殺を図ったのですが死にきれず、喜助に懇願して殺してもらったところを捕まったわけです

喜助の立場にしたら

牢の中では何の仕事もせずとも食べ物が与えられて餓えることもない

罪人に与えられるお金は、喜助にとって初めて自由になるお金です

これで流された先で商売の元手にもなる

ありがたいことだと言うわけです

その話を聞いた護送役の同心の羽田は自分の生活を省みて

喜助より多くの金を働いて得ているが、

それに満足を覚えたことはない

眼の前の喜助はたった200文の金で満足を覚えて幸せそうに笑っている

彼に後光が差して見える


というわけです

喜助の在り方にはいろんな意見があるでしょうが

僅かな金銭と自由で十分に幸せを感じられるのは、得がたいことだと思います

「ここまでで良い」は「ここまで幸せ」

私達の欲望は際限がなく、

求めれば求めるほど加速します

では、どうすれば良いか?

あくまで、私の意見ですが、どこかで減速する必要があると思います

欲望を止めることはできませんが、勢いを殺して、少欲で生きることは出来るのではないでしょうか?

「自分は、ここまでで良い」

そう区切りをつけるときが必ずどこかで来ます

そのとき、潔く区切ってしまうか、あくまでも足掻いて猶予を延ばすか

それは人それぞれですが、いずれは区切りをつけるときが来るでしょう

そのとき、納得してそうするのか、悔いを残してなのかで、結果は変わるのではないでしょうか?

足るを知るの足るは、常に足る。なのです

自分自身で区切りをつけられれば、区切りをつけたことそのものに満足することができるはずです

満足した分だけ、それは幸せということではないでしょうか?

おしまいに

好き勝手に書いてきましたが、実際に「足るを知る」を実践するのは難しいことです

私は、果たして『高瀬舟』の喜助のように、自らの在り方に満足できるか自信はありません

ただ、10代、20代の頃に比べれば、「足るを知る」の理解に近づいているような気はします

昔に比べて、自分の可能性や限界が見えるようになってしまっただけなのかも知れません

(こんな感慨すら、年長の方からは若輩者が知った風なと怒られそうですが)

でも、私も、何かを区切るときは満足した心持ちで

「私は、ここまでで良い」

と思えるようにしたいです

そのためにも、「ここまで」を出来るだけ追求しなければいけないのでしょう

参考


老子 (岩波文庫)


ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)


高瀬舟


「足るを知る」と、幸せになれる (扶桑社BOOKS)

ここまで読んで頂きありがとうございました!

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