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【読書】『ブッダが説いたこと』で初期(原始)仏教について知ろう!

「初期仏教」の概説書

マインドフルネス、瞑想や禅、ヨガなどの心に関するエクササイズが注目されて久しいですが

人によってはそれらの元になった初期仏教(原始仏教)について興味を持った方もいるのではないでしょうか?

そんな方におすすめの本が


ブッダが説いたこと (岩波文庫)

『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ著(今枝由郎訳)です

この本はスリランカの学僧ワールポラ・ラーフラが英語圏の読者向けに書いた概説書、入門書になります

宗教が苦手な方にもおすすめできる本で、ブッダ(お釈迦様)の合理的、科学的な考え方にも触れられます

内容の一部を紹介

仏教を知らない人向けに書いた本なので、基本的な教えである四聖諦や八正道も含めて分かりやすく、体系的に書かれています

その中で、面白そうな内容を一部ご紹介していきます

疑いの除去

ブッダの教えによれば、疑いは真理を明確に理解し、精神的に進歩するための「五つの妨げ*1」の一つである。しかしながら疑いは「罪」ではない。というのは、他の宗教で考えられているような罪は、仏教には存在しないからである。すべての悪の根源は無知であり、誤解である。疑問、戸惑い、ためらいがある限り、進歩できないのは否定できない事実である。そしてまた、ものごとが理解できず、明晰に見えない限り、疑問が残るのは当然である。それゆえに本当に進歩するためには、疑問をなくすことが絶対に不可欠である。そして疑問をなくすためには、ものごとを明晰に見ることが必要である。
第一章 仏教的な心のあり方 pp29‐30より

疑わずに信じなさい、ではなく、疑問があるなら解消しなさい、がブッダの教えだというのです

それが私たちが少しでも進歩するためには必要な態度なのではないでしょうか?

実際、ブッダは弟子の疑問によく耳を傾けて答えていたそうです

それは亡くなる直前も同じだったとのこと

その上で「怠ることなく努めよ」と言い残したと言われています

真実に名称(ラベル)はつけられない

仏教は宗教なのか、それとも哲学なのか、としばしば問われてきた。仏教をどう定義しようと、大した問題ではない。仏教をどのように呼ぼうとも、仏教であることに変わりはない。名称はどうでもいいものである。私たちがブッダの教えに付けている「仏教」という名称も、重要なものではなく、本質的なものではない。(中略)真実にことさら名称は必要ない。それは、仏教のものでも、キリスト教のものでも、ヒンドゥー教のものでも、イスラム教のものでもない。それは誰の占有物でもない。差別的で偏屈な名称は、各人が真実を理解する妨げになるし、人びとに有害な偏見を抱かせる。
第一章 仏教的な心のあり方 p34より

ブッダは、他の宗教の教えを信奉する人にも、問われれば答えていたそうです

それは、私たちがこの人は何々派の信徒だ、何々教の信者だと区別したがる態度とはずいぶん違うと思いませんか?

今は宗教だけではなく、どこの国の人だ、民主主義だ、共産主義だとその範囲は広がっている気がします

インターネットでつながることで私たちの世界が広がり、同時に区別や差別の枠も拡大したかのようです

「この人は、私とは違う」と、言いたがっている気がしてなりません

もし、真にグローバルな態度を身につけようと思うなら、私たちはこれらの区別を無くすのではなく、 緩やかにする努力をするべきだと思います

何々教の人や何々主義の人、どこどこ国の人をそういう人として、

拒絶するのではなく受け入れる態度を身につける方が文明人らしいのではないでしょうか?

教えに固執しない

かつてブッダは弟子たちに因果の教えを説明し、弟子たちはそれをはっきりとわかり、理解したと答えた。そこでブッダが言った。「弟子たちよ、この見解は純粋で明晰である。しかしあなたたちがそれに固執し、思い入れ、尊び、拘(こだわ)るならば、教えは流れを渡るために乗る筏(いかだ)に似たものであり、保有するものではない、ということを理解していない(中略)弟子たちよ、私の教えは筏と同じである。それは、流れを渡るためのもので、持ち歩くためのものではない。あなたがたは、私の教えは筏に似たものであると理解したならば、よき教えすら棄てなければならない。ましてや悪しき教えを棄てるのは、言うまでもないことである」
第一章 仏教的な心のあり方 pp46‐47より

簡単に言うと、教え(知識)は目的を達成するための手段でしかない、それに固執するべきではないということでしょうか

どのような分野でもそうですが、それまでに蓄積された歴史や知識、定石があります

ベテランになると、それらを存分に身に着けている分、

それらに囚われて新しい知識や方法に馴染めなかったり、受け入れられなかったりすることも珍しくありません

逆に、それまでの定石を顧みず、新しい手法を貪欲に取り込んで、実践しようとするアグレッシブな人もいます

どっちが正しいか?

実は、どっちも正しくありません

明確な欠点を抱えたまま古い方法に固執することも、何の検証もせずに目新しい手法に飛びつくのも、

知識や方法に固執していることに変わりがないからです

大事なのは、目的を達成することです

仕事で成功する、私生活を安穏に保つ、人生に幸せを求める、

そういう目的を達成するのに、方法が相応しくないのなら、

伝統的な方法だろうが、最新のメソッドだろうが、切り捨てるべき時は切り捨てる必要があります

筏は川を渡るためのもので、持ち歩くものではないのです

個人的感想

あとがきを入れても全207ページという薄い文庫ですが、

キリスト教圏の読者向けに書いた本だけに平易な表現が多かったり、

巻末には簡単な用語集がついていたりと、読みやすい本だと思います

定価700円程度と文庫本としてもお求めやすい価格で、手に取りやすいと思われます

惜しむらくは、電子書籍化していないことですが、小さい本なので置き場に困ることも少ないと思います

私はこの本を読む前に、中村元氏の書籍などで初期仏教についていろいろ読んでいましたが、

それまでの知識がコンパクトになった印象がありました。深い知識に興味がないけど、一通りのことを知りたい方には、おすすめです


ブッダが説いたこと (岩波文庫)

*1:「五つの妨げ」とは、①感覚的欲望、②悪意、③肉体的・心的無活力と沈滞、④落ち着きのなさと不安、⑤疑い(本書P31脚注より)