やらなかった後悔
ぱっと思いつくのは英語学習です
学生時代の昔から英語が苦手で、真剣に向き合って来ませんでした
日本人は英語アレルギーと言いますが、私の場合は言い訳じみていました
一番の理由は怠惰です
長い努力を嫌い、一時の楽ばかり選んできました
勉強自体が全く出来なかったわけではありません
自慢にもなりませんが
進学校の真ん中より少し下程度を彷徨いていたのです
そこを英語の点数が足を引っ張っていました
いや、それでは英語に失礼だし、フェアではありません
英語に向き合わない自分の怠慢が、自分自身の足を引っ張っていた
もし、英語に真剣に取り組んでいれば、中の上ぐらいを彷徨えたでしょう
やっぱり、自慢にもなりません
それでも、些細な後悔でした
やってみたい夢想
学校を出て、試験が必要ではなくなって
英語で本が読めればなんて夢想することが増えました
大した理由はありませんでした
強いて言えば、当時は海外文学に嵌っていたぐらい
それでも、必要があった訳では無い
日本には、質の良い翻訳の書籍も、悪い書籍も無数にある
あえて英語を勉強しなくても良い
ただ、試験にも使わなくなった英語の使い道が気になっていた
それに、英語ができればちょっとした自慢になります
だから、英語は試験のための道具からカッコつけるための道具になったのです
続かない想い→繰り返す想い
そんな夢幻は長く続いた試しがありません
英語学習は始めては中断し、中止し、再開することを繰り返します
寝ては覚めてを繰り返すように
ただ、短いですが繰り返し続けてはいたようです
モールス信号みたいなものだったのかもしれません
短い学習期間では無意味でも
繰り返すことで意味を表現しようとしたのかも
繰り返しの結果、英語アレルギーらしきものは無くなっていました
まあ、結果だけは何とか出したようでした
これからの希望
やっぱり私は英語が苦手です
怠惰で
学習も長くは続きません
動機もカッコつけるため
だからか、中断と再開を繰り返しました
身についたものは碌になく
若干知っている単語が増えた気がするだけ
あとは、あったか無かったかの英語アレルギーが消えたようです
今までで、ようやくここまで向き合うことができました
つまり、何とかスタートラインに立ったのです
長い準備運動でした
今の私には、希望があります
モールス信号みたいに英語学習を繰り返すこと
それで、少し英語の本が読めるようになれば良いと思う
英語ペラペラは無理そうだけど
少しはカッコがつけばいいなぁ