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【読書】毎年繰り返して読むチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』

チャールズ・ディケンズの『 クリスマス・キャロル』を何故繰り返し読むのか?

クリスマスが近づくこの時期、私は毎年のように手元にあるチャールズ・ディケンズの『 クリスマス・キャロル』を紐解きます

話の内容はおおよそ知っているし、出てくるキャラクターも展開も、よく見知っています

それでも、私は毎年この本を読むことに決めています

お話が気に入っているわけではありません

どこかのシーンに感動を覚えた訳でもないです

有り体に言って、理解できない部分も多いと思っています

例えば、キリスト教圏の方々にとって当然のようにあるクリスマス精神などがそれです

一般的日本人である私にとって、クリスマスは主にサンタクロースとツリーとプレゼントとホールケーキ、クリスマスソングで構成されたどんちゃん騒ぎに過ぎません

神への信仰や隣人愛や博愛精神とは繋がらないものなのです

そんな私にとって、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を毎年読むことにどんな意味があるのか?

それは、この本を読むことで確認したいことがあるからです

クリスマス・キャロル』は、ケチな小悪党が一晩夢を見て更生する法螺ほら話なのか?

ディケンズの『クリスマス・キャロル』には様々なバージョンが存在します

ですが、おおよそのあらすじは同様です

今回は、角川文庫、越前敏弥氏訳の『 クリスマス・キャロル』から抜粋したいと思います

クリスマスの前夜、老守銭奴スクルージのもとに、「過去」、「現在」、「未来」の三幽霊と、昔の相棒マーリーの幽霊が現れ、これまでスクルージが行ってきた冷血非道な行いの数々を見せる。それでも最初は気丈にふるまうスクルージだったが、やがて自分の人生の空虚さに気づき、改心して真人間の生活に立ちかえることを決意する。

よくある更生物語であり、悪党がそれまでの自分の行いを反省して周りの人間に優しい人物になるというお話

しかも、これはたった一晩のうちに起こるのです

それまで冷血漢だった男が一晩で真人間に改心するだなんて

常識的な感性を持つ方にとっては、とてもありそうにない、法螺話のように思われることでしょう

他人事ではない、突きつけられる"死の結末"

私にとって、この物語の肝は、過去と現在の精霊ではなく、未来の精霊がスクルージに見せたヴィジョンです

まだこの物語に触れたことのない方へのネタバラシを避けるためにざっくりと言えば、

未来の精霊がスクルージに見せたのは彼の結末、つまり死の姿に他なりません

スクルージはケチで冷血漢な小悪党にありがちな、孤独で、救いようのない死を迎えます

それを、未来の精霊はスクルージに突きつけてしまうのです

それを見たスクルージは、ついに自分の人生をやり直す決心を固めるわけです

こんな結末は迎えたくないというわけです

孤独な死を回避するために善人になる?

これを読んで、ずっと引っかかっていることがあります

スクルージはいったい、本当の意味で考えを改めたのでしょうか?

そして、それは本当に、彼にとって幸せな人生、生活、そして死なのでしょうか?

未来の精霊が見せた惨めな死より、本当にマシな結末なのでしょうか?

もし彼が、ただ未来の精霊が見せたヴィジョンを恐れ、その結末を回避したいがために、善人のように振る舞おうと決意したのだとしたら?

それは、スクルージの本当に歩みたい人生、生活、その上の死なのでしょうか?

私には、スクルージの”本心”は確かめようがありません

ですが、この本を読むことで、”私自身の本心”がどこにあるのか?

それを確かめることは出来るのではないか?

そう思っているのです

どうやって”死”と向かい合っていくか?

私は、キリスト教圏の人間ではないので、彼らが抱くクリスマス精神とはあまり縁が無いと思います

実は、その輪郭すらぼやけて・・・・いるのです

それでもこの物語から感じ取れているものが少しあります

人生という孤独な旅路と死の結末は避けがたい

けれど、私達はそれまでを隣人と仲良く暮らすか、隣人なんてうっちゃっておいて寂しく過ごすか選ぶことが出来る、ということです

そう、選べるのです

スクルージが辿るはずだった2つの旅路を引き比べて、私達にとって一体どっちがマシなのか?

ディケンズは願わくば、私達に隣人と仲良く過ごす道を選んでほしいと思っていたのは、明らかでしょう

ですが、結局の所それを選び取るのは私達自身に他ならないのです

隣人と仲良くする道と、孤独な道、行き着くは同じ死です

惨めだろうが、満ち足りていようが、結局は死に敗れるのに変わりはありません

その上で、私はどんな道を歩みたいと思っているのか、結論を出しかねています

本心から言えば、別に誰とも仲良く暮らす必要はない気もするのです

もし、自分の中に孤独でいたいという声を聴きながら、それに従わずに幸福な死のためだけに、それまでの道程を不本意な隣人との仲良しごっこに費すとしたら?

本当に、そんな必要があるのでしょうか?

自分が気に入った人とだけ口を利いて、嫌いな人を遠ざけることも、難しくはありますが全くできない訳ではないでしょう

ただそれは、本当に私を幸せにする道なのか?

本当にそれでいいのか?

その悩みが尽きないのです

孤独だけれど、誰にも遠慮することのない気楽な人生と生活と死

気楽ではないかも知れないけれど、隣人に囲まれた人生と生活と死

いったい、どちらが?

それを考えてみるためだけに、

今この時の自分の考えを確認するために、

私は『クリスマス・キャロル』を紐解くのです