⇩この記事を読んで、少し考えたことがあります
老親の老人ホーム選びで「決められない」のはなぜ? 親が緊急搬送、退院が迫って子が考えるべきこと(1/3)〈dot.〉 | AERA dot. (アエラドット)
この記事の事例では、こんな感じでした
脳梗塞で倒れて片マヒが残り、一人暮らしができなくなった70代の母親
その母親の今後について、50代の息子さんにソーシャル・ワーカーが介護保険や受けられるサービスの説明を丁寧にして、今後の母親の生活や介護をどうしたいか、決めて欲しいことを伝えます
しかし、この男性は
「分からない」
「専門家のあなた達に決めてほしい」
「家に持ち帰って話すような時間はない」
の一点張りだったそうです
結局話は平行線で、職員の方々が疲れ果てる結果になったそう
この話について、この記事ではこう⇩言っていました
私は、男性に、親の介護を含めた自分の生活に対する「意思がない」ことが原因だと思っています。勘違いされがちなのですが、この「意思」は親ではなく、「子ども(自分)の生活、幸せの形」についてのものです。
自分は介護離職をするのかしないのか、いままでどおり親とは離れた場所で暮らすのか、妻には仕事を続けてもらうのか、自分の子どもたち(老親にとっては孫)にも介護に参加してもらうのかなど、自分で自分の生活をつくる意思と、それを具体化するためのプランがなければ、親の施設を選ぶことはできません。
「私のことはどうでもいいんです、母親(父親)のことなんですよ」と言われるかもしれません。もちろん、親の考えや希望を尊重するのはいうまでもありません。しかし救急搬送されたそのときから、施設を選ぶというような親の生き方を子どもが決めるという状況では、得た情報を選択して主体的に進めていくのはあなたの意思なのです。どうでもいいはずがありません。そこでは、親の介護や生活は、あなたの幸せの形の一つとして、つまり「自分のこと」として考えていいのです。
これを読んで一番に考えたのは、もし自分が同じ状況になっても、「自分のこと」としてしっかり考えて、答えを出せるだろうか?という疑問でした
今はまだ、私の両親は健在で元気なものです
が、二人の年齢を考えたとき、
それは遠い先の未来ではないと気づきました
自分の親が介護を必要とした時、その方向を決める権利が自分にもあると言うのなら、ただ「親の希望に沿うように」とは言えないのです
何故なら、それは私の生活の一部だからです
学生時代に進学先を決めたり、
就職先を決めたりするのと同じで
私の将来を決断しなければならない瞬間だからです
誰も代わりに決断はしてくれない
もしかしたら、今の仕事をやめなければいけないかもしれない
そうでなくても、勤務時間を調整することは必要になるかもしれない
住んでいる場所はどうでしょうか?
介護するとして、家族の役割分担、
お世話になる介護サービスやお医者さんはどうなるのか?
実際に考えるときは、もっと多くの事を決める必要があるはずです
遠い未来ではないでしょうが、今日明日の話でもないとしたら
今からシミュレーションをしておくのも、いい考えではないかと思います