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【雑記】長崎市に坂道が多い理由とは?(加筆修正版)

JAXA 地球が見える 2009年 長崎市と軍艦島:近世の窓口と近代化を支えた石炭島より引用

何故、長崎市には坂が多いのか?

皆様は、長崎市に観光に行ったことがあるでしょうか?

行ったことがなくても、長崎市が「坂の多い街」であることは聞いたことがある方も多いでしょう

私は生まれも育ちも長崎で、全く実感が無いのですが、県外から来た方は、たいてい長崎の坂の多さに驚くようです

何故、長崎市には坂が多いのか?

どうして、長崎の人は平地ではなく山に家を建てて住んでいるのか?

今回はそんな疑問に答えられるように、長崎市の坂が多い理由を調べてみました

【目次】

坂が多いのは、すり鉢状の地形と平地の少なさのため

記事の最初の写真を見て頂くと分かりますが、長崎市は周りを山に囲まれた地形をしています

よくすり鉢状の地形と言われるように、狭い平地を取り囲むように山に囲まれ、海に面しています

長崎市に坂が多いのは、この

1.すり鉢状の地形

2.狭い平地

の2つが理由に挙げられます

1つずつ説明しましょう

長崎市を取り囲む山々がすり鉢状に展開している

山を開くこと=坂を作ること

長崎市の古い家は、山に建てられていることが多いです

これは勿論、平地が少ないために山に押し出されるようにして住処を求めたためです

そして、山に人が広がるためには道を作る必要があったわけですね

**この山を削って作った道が、すなわち坂になったわけです*1

平地のほとんどは埋め立て地

しかし、不思議に思われなかったでしょうか?

長崎の人々はどうして、目の前の海を埋め立てなかったのでしょうか?

平地を広げれば、山に住むよりずっと簡単に生活が出来そうですよね?

実を言えば、昔の長崎の人々もそう考えて、埋め立てを行ってきたのです

埋め立て例:出島と外国人居留地

一番有名なのは、出島です

出島は、1634年江戸幕府の対外政策の一環として作られた、日本初の本格的な人工島です*2

これは現代のお金で約4億円をかけて作られました

鎖国中の唯一の貿易港として有名です

もう1つは、長崎の外国人居留地です

1858年に制定された日米修好通商条約をきっかけに1860年から1870年にかけて、大浦地区を埋め立てて造成されました

グラバー邸を中心とする東山手・南山手一帯を指しています*3

この地に住んだ外国人がもたらした近代西洋様式が、異国情緒あふれる長崎の街を作る基盤になりました

このように、江戸時代の昔から埋め立ては行われて来たわけですね

ならば何故、長崎の人々は山に道=坂を作って住むことになったのか?

江戸〜大正の人口増加で傾斜を利用して発展した

開港したことで、外国人居留地が出来、外国人が増え、長崎の人口は増え続けました

大正9年(1920年)の第1回国勢調査によると、

世帯数37,039世帯、人口176,534人、人口は九州第1位、全国第7位まで増加しています*4

長崎港を中心に埋め立て、都市化に、鉄道開通と市内までの延長や三菱財閥の登場などで近代工業化も進められていましたが、それでも人口増加に追いつかなかったようです

人々は、山へ押し上げられるように発展を続けていき、現在の「坂の街」長崎が完成したわけですね

坂が作った長崎市の見どころ

さて、長崎に坂が多い理由は、十分に説明できたと思います

続いては、そんな「坂の街」長崎の見所をご紹介していきます

有名な長崎の坂

長崎は坂の多い街であることはこれまで述べてきましたが、その数はなんと1,900本以上もあります

まずは、その中でも特に有名な坂道をいくつかご紹介します

  • 祈念坂:長崎の中心部にある坂道。大浦天主堂グラバー園など、観光スポットへのアクセスに便利です*5

  • 変電所の坂:長崎でもっとも有名な急坂です。飽の浦町にあり、平均勾配は24%で最大勾配は30%とも35%とも言われています*6

  • オランダ坂:長崎の中心部にある坂道。かつてオランダ人が住んでいた場所にあり、オランダ風の建物が並んでいます
    (ただ、坂自体は特に目立ったところがなく「え、今のがオランダ坂?!」と言われることも…ゴホンゴホン)

これらの坂道は、長崎の歴史や文化を体感できるスポットとして、観光客に人気があります

長崎くんち

次は10月7日〜9日にかけて行われる長崎くんちです

地元では「おくんち」と呼び、親しまれています。

ここ3年ほどコロナ禍で中止になっていましたが、今年は4年ぶりに開催される予定とのこと

そして、見所は前日(7日)と後日(9日)に諏訪神社で行われるお下りとお上りです

上の写真は明治時代のお上りの様子になります*7

諏訪神社に祀られている三体の御神体が、大波止の御旅所(おたびしょ)まで下り、後日上って行きます

諏訪神社の長い石段の坂道を勢いよく下り、上っていく様は圧巻です

是非一度ご覧になっていただきたいですね

世界新三大夜景にも選ばれた長崎市の絶景

2012年に続き、2021年にも長崎市の夜景はモナコ、中国と並び「世界新三大夜景」に再認定されました*8

これも、坂道を登った先、山頂から臨む絶景です

長崎の坂道がなければ見られない景色ですよ

必見です

まとめ

いかがだったでしょうか?

長崎に坂が多い理由をまとめると

☑ すり鉢状に狭い平地を三方の山が囲んでいるため、平地から山へ押し出されるように人口が広がった

☑ 山へと広がるとき道を作ったら、それが坂になった

☑ 江戸時代〜大正時代の人口増加が、斜面を利用した発展を促した

という感じです

また、「坂の街」長崎の魅力を発信できていれば幸いです

皆様も是非、ご旅行の際は長崎市にいらっしゃって下さいね!